観終わった後、自分が緊張していたことに気がつきました。それほど、最初から最後まで息をつく間がない映画でした。
2025年カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した、ジャファル・パナヒ監督作品「Un Simple Accident」。たった一つの偶然が、すべての始まりでした。
ジャファル・パナヒ監督について
この映画を語る上で、監督であるジャファル・パナヒ監督について触れないわけにはいきません。
パナヒ監督はベルリン、カンヌ、ヴェネツィアという世界3大映画祭すべてで最高賞を受賞した、史上4人目の監督です。
しかし彼の歩みは、受賞歴だけでは語れません。イラン政府によって逮捕され、映画制作を禁じられてきた監督でもあります。過去の作品が上映禁止処分を受けたこともあります。それでも彼は作り続けました。
権力によって声を奪われた人間が、それでも声を上げ続ける——この映画が描くテーマは、監督自身の人生と重なります。
「Un Simple Accident」はどんな映画か
主人公のワヒドは、自動車整備工場で働いています。ある日、一人の男が妻と娘を連れて工場に立ち寄ります。車の不具合のためでした。
その時、ワヒドは聞いてしまいます。義足の音を。
かつて看守として自分の人生を狂わせた男——その歩く音を、ワヒドは忘れていませんでした。
男の車を尾行し、自宅を突き止めます。そしてワヒドは男を拉致し、生き埋めにするための穴を掘り始めます。しかし、一人では決めきれない。そこから、かつて同じ看守に苦しめられた人たちが集まり、男が本当に自分たちを苦しめた看守なのかを確かめようとします。
これが「Un Simple Accident(ただの偶然の出来事)」——整備工場への偶然の立ち寄りが、5人の人生を動かした瞬間でした。
本当にあの男なのか——確信と疑念の間
ワヒドには確信があります。あの義足の音、あの歩き方。間違いない、と。
でも、男は言います。「自分は別人だ」と。
問題は、ワヒドが看守の顔を一度も見ていなかったことでした。記憶にあるのは音と気配だけ。確信はある。でも証明できない。
見ているこちらも、同じ問いを抱えます。本当にこの男なのか。それとも人違いなのか。その緊張が、最後まで続きます。
こんな人に観てほしい
- サスペンス映画が好きな方
- 「正義とは何か」を考えさせられる映画を探している方
- カンヌ受賞作を追いかけている方
- 答えを出さない映画の余韻が好きな方
まとめ
「たった一つの偶然が、すべてを変えた」
Un Simple Accidentというタイトルが、観終わった後にずっしりと響きます。
看守を見逃したことは正しいのか、間違っていたのか。人間としての理性と正義を優先することで、果たして過去の恐怖から逃れることができたのか。答えの出ないまま終わるこの映画は、観終わった後も長く頭に残ります。
【ネタバレあり】5人が抱える傷——それぞれの向き合い方
※未鑑賞の方はご注意ください。
印象的だったのは、復讐のために集まった5人が、それぞれ異なる形で過去と向き合っていくことでした。
皆それぞれ心にトラウマを抱えながら日常を送っていました。怒りを失わない者。恐怖が消えない者。そして結婚を前に、自らの過去を婚約者に打ち明ける者。
彼らは同じ被害者でありながら、傷の残り方も、復讐への向き合い方も違います。その姿を見ているうちに、私はこの映画を単なる復讐劇ではなく、傷を抱えた人間たちの物語として受け取りました。
【ネタバレあり】振り向けなかったラストシーンの意味
ワヒドは最終的に、あの男を殺しませんでした。
それを「赦し」と呼ぶ人もいるかもしれません。でも私は、ワヒドが男を逃したことを「赦し」とは感じませんでした。むしろ、恐怖が消えなかったからこそ、殺すこともできなかったのではないか——そう思いました。
最後のシーン、ワヒドは振り向きません。振り向いてほしいのに、最後まで振り向くことができない。その背中からは、過去の傷がいまも現在進行形で彼を縛っていることが伝わってきました。
観終わったあと、私は自分が知らないうちに緊張していたことに気づきました。復讐を果たせば救われるのか。果たさなければ前へ進めないのか。映画はその答えを示さず、問いだけを静かに観客へ残して終わります。
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